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(令和2年8月14日 午後7時から放送されたNHKニュース・・・靖国神社からの分散参拝のお願いがあり、前日に、靖国と千鳥ヶ淵を参拝した際にインタビューを受けました)
靖国神社について
父方の祖父は硫黄島で戦死、その弟は特攻で九州南方洋上で独身のまま23歳で戦死しています。男三人兄弟で三男のみが、南方から帰還しました。
また、母方の祖父は中国戦線で捕虜となり、シベリアに抑留後に帰還しました。抑留生活の後遺症で、座る時はいつも右足が立ち膝になっていたことを覚えています。
鈴木家の墓は戦後に祖母が建て、現在は私が守っていますが、墓の中には、祖父の遺骨の代わりに、硫黄島の石が入っています。その弟は墓碑銘だけです。
幼稚園の頃から祖母に手を引かれて靖国神社に終戦の日に行ったことが、記憶に残っています。そして、例大祭や永代神楽祭にもお小遣い欲しさもあって、小学生の頃は何度も行った記憶があります。
両親の死後、祖母の面倒を私が看ることとなると、度々、靖国とお墓に行きたいと言われました。痴呆症が少し入り、母が亡くなったことは認識していましたが、息子である父が亡くなったことは忘れてしまっていました。しかし、亡くなる直前まで、靖国に逢いに行きたいと言っていたことは、今も、強く脳裏にあります。祖母にとっては、お墓よりも靖国の方が思いが強かったんでしょう。
祖母を看るようになり、生活も少し落ち着いた頃から、祖母の意思を引き継ぎ、靖国神社の遺族の登録名義を、祖母から私に変更し、例大祭、永代神楽祭(硫黄島が玉砕した3月17日にしています)、終戦の日に、可能な限り伺い、昇殿参拝しています。
(※写真は鈴木家の墓誌と、母方の祖父が満州から出した手紙と当時の写真です)
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