プロフィール
昭和43年8月18日 調布市多摩川に生まれる
富士見台幼稚園 市立富士見台小学校 市立第三中学校
関東高等学校(現 聖徳学園)昭和62年3月卒業
千葉商科大学に学ぶ(家業を継ぐため退学)
●げんざい
・調布市監査委員
・調布市議会 建設委員会 委員
・調布明るい社会づくりの会(調布明社)副会長
・保護司 調布・狛江地区保護司会 理事
協力雇用主会担当責任者
調布分区自主研修担当
保護司アジ研協力会 理事(広報担当)
※アジ研=国連アジア極東犯罪防止研修所
・公益社団法人 武蔵府中青色申告会青年部 相談役
・社会福祉法人 京王福祉会 監事(双葉保育園)
・社会福祉法人 桐仁会 監事
(特別養護老人ホーム ちょうふ花園・かしわ園・かえで園=
杉並区・調布くぬぎ園、おおたかの空保育園、地域包括センターちょうふ花園)
・調布市商工会 顧問
・調布消防少年団 副団長(小学5年生から活動)
・国領千年乃藤まつり実行委員会、等 事務局長
・深大寺短編恋愛小説実行委員会委員、他
●これまで
・東京都六市競艇事業組合議会 議長(江戸川競艇)
・全国競艇主催地議会協議会 顧問
・東京都十一市競輪事業組合議会 議員
・財団法人 調布市文化・コミュニティ振興財団 副理事長
・社団法人 調布青年会議所 理事長(下段参照)
・社会福祉法人 調布市社会福祉協議会 各種委員等(下段参照)
・自由民主党調布総支部 青年部長(下段参照)
・ふるさとまつり実行委員会 運営専務(下段参照)
・調布市図書館協議会委員
・調布市特別職報酬等審議会委員
・調布から復興支援プロジェクト 初代事務局長
・調布市消防団団員(高校卒業の翌月、昭和62年4月~平成6年
まで)、他
●資格等
・大型自動車1種・普通自動二輪免許
・東京消防庁応急手当普及員
・日本ソムリエ協会認定 ソムリエ(No.89082)
~得意分野はイタリアワイン~
・建設系資格:玉掛け・小型移動クレーン
・食品衛生責任者
●読 書:好きな分野は、日本とイタリアの歴史書
~枕元には、「日本史の謎は地形から解ける」(3巻)
「ローマから日本が見える」「上杉鷹山の師 細井平洲」
「マキャベリ語録」などを置いて、読み返しています。~
これまでの主な団体での活動
●社団法人調布青年会議所
~21歳から卒業の40歳まで19年間フル活動~
・理事長(第34・35代)
・専務理事2回・副理事長2回・監事2回他、長年にわたり組織の中心で活動
・平成10年 東京ブロック協議会地域問題策定委員会委員長
●社会福祉法人 調布市社会福祉協議会
(平成3年~平成21年)
・広報紙「福祉の窓」編集ボランティア
・第1次地域福祉活動計画策定委員
・第3次地域福祉活動策定委員会委員長・同推進委員会委員長
・総務部会委員
・調布市地域福祉活動支援事業検討評価委員
●自由民主党調布総支部青年部
平成2年入部、幹事長を10年務める中で、各級選挙においての遊説事務などを統括
・平成27年2月から29年9月まで青年部長
・平成22年度から2年間 三多摩支部連合会青年部副部長
●市民イベント実行委員会
18歳から「ふるさとまつり(現 調布よさこい)」の実行委員となり、多摩川フェスタ じんだいフェスタ やあやあフェスタ 縁側フェスタ かしわの冒険王国 祇園精舎の法灯会 深大寺夕涼みの会など、様々なイベントの実行委員会にて運営専務や事務局長などを歴任し、企画・運営に携わる。
●災害支援等
阪神大震災にて、青年会議所の専務理事として自転車などの物資を仲間と集め避難所に、自分の4tトラックに積んみ届けて以来、様々な震災や原油流出事故などの際に支援活動を行う。また、普通救命講習の普及や、市民団体のネットワーク化にも阪神大震災翌年から携わる。
東日本大震災においては、支援物資搬送、風評被害野菜の販売、市民組織「調布から復興支援プロジェクト」の立ち上げメンバーとして被災地の物品販売や写真洗浄、交流事業などに携わる.また、祇園寺、国領神社にてチャリティイベントを開催する。
熊本地震をなどにおいても支援活動を行い、これまで被災地への視察などを通して得たものを、行政に提案し続けています。
調布市議会
所属会派 自民・維新の会
所属常任委員会 建設委員会
(これまで:総務委員長:二期 文教委員長、厚生委員会副委員長、厚生委員、建設委員、広報委員長・ふじみ衛生組合議会議長:二期)
座右の銘・書
「蒼天の志」 吉田松陰の「黄霧四塞すといえども、上に蒼天なきにあらず」からきています。
濃い霧に覆われて歩けなくなっても、必ずその上には青い空が広がっている。
「嚶鳴館遺草」 上杉鷹山をはじめ藩政改革を行った多くの大名が師とした細井平洲が、その考えをまとめたもので、
後に、吉田松陰が座右の書として「この一冊にすべてがある」と塾生に勧め、西郷隆盛をはじめ多くの維新の指導者たちが改革のバイブルとしています。
最も影響を受けた上杉鷹山が35歳で隠居するにあたり書した「伝国之辞」は、主権在民を述べたもので、内村鑑三による『代表的な日本人』の中で欧米にも紹介され、ケネディ大統領が、日本人記者からの「関心のある日本人は?」との質問に、鷹山の名をあげています。
債務整理
父の急逝後、取引信用金庫・東京国税の2者と、国税係官のアドバイスのもとに債務整理を行いました。
また、親戚から訴訟を起こされもしました。(半年後に取り下げ)
自宅兼アパートには、賃借人がいたため、約1年間かけて知人の不動産屋にお願いし、立ち退き交渉も行いました。しかし、不動産売却後も、完済は出来ず、祖母の逝去に伴う相続放棄により、完済の目途が立ち、父の逝去から5年間かかり終えました。(東京国税とは一年半、その後、むさし府中税務署から通帳などチェックされていました)
債務整理や相続放棄に伴い、父方の親戚とは親交が絶えています。
この債務整理を通して、事業継承の難しさ、突然、生まれ育った家を手放さなくてはならなくなったことの辛さ、経済的に先の見通しが全くたたないことの不安、残された祖母を看取らなければならないことへのやり場のない苦しみなど、多くの「負」の思いは、私を強くしてくれました。